
電話代行スタッフ田中です。
ある1着のドレス写真をめぐって、世界中が沸きに沸いていたドレス騒動。
様々なサイトで取り上げられていました。
朝のニュースでもやってましたが、私は昨日は青黒に見えたのに今日は白金に見えました。
上に写っているドレスが、「白と金」に見える人、「青と黒」に見える人が二分化した問題。
SNSや海外サイトでは「白×金」派と、「青×黒」派に分かれていました。
では、なぜ人によって見え方が違うのか。
実は、それは純粋な生物学的な問題であり、人間の目と脳が日光に照らされた世界の色を認識するために辿った進化に起因しているそう。
光は水晶体を通して目に入ってきます。
このとき、波長の違いが色の違いとなって現れます。
光が眼球の後ろにある網膜に当たると、色素が神経連絡を視覚野まで発火。
そして、脳のこの領域で到達した信号が処理され映像となります。
重要なのは、最初に入り込んだ光の一差しは、世界を照らす波長で構成されていますが、それは今見ているものからの反射も含まれるということ。
心配しなくても、脳は目が見つめているものから跳ね返ってきた光の色を認識し、物体の”本当”の色からその色を差し引いてくれます。
人間の視覚系は光源の情報を捨て去り、実際の反射率についての情報を抜き出すようにできています」と語るのは、米ワシントン大学の神経学者ジェイ・ネイツ教授。
「人それぞれの色覚の違いを研究して30年になりますが、これは私が見た中では個人によって最も違って見えるものの1つと言えるでしょう。」
ちなみに下の写真は、左のはホワイトバランスを調整して白と金に見せたもの。
中央は元々の画像、右側はホワイトバランスで青と黒に調整したもの。
通常、こうした視覚系は実に上手く機能しています。
しかし、この画像は知覚の境界に命中したものなの。
その原因は人々の神経接続にあるとのこと。
人間は日光を見るように進化してきましたが、
日光は色を変化させます。
その色軸は夜明け時のピンクがかかった赤から、正午には青白色となり、赤みを帯びた夕暮れへと色調を落として行くというもの。
「視覚系はこれを見つめながら、光軸の色のバイアスを差し引こうとします」と、米ウェルズリー大学で色と視覚を研究する神経学者ベビル・コンウェイ氏は説明。
「だから、青側を差し引く人なら白と金に見えて、金側を差し引く人は青と黒に見えるようになります。」
問題の画像にフォトショップでちょっと細工をして、実際のRGB構成を割り出したものがあります。
これによれば、一部の人が青と認識している部分には青が認められます。
ですが、これはおそらく実際の色以上に背景が関係しているよう。
例えば、赤93、緑76、青50という数値から、何色に見えるか。
正解は茶色っぽい色なのですが、背景が白い場合はそうは見えません。
しかし、背景が純粋な黒の場合はきちんと茶色に見えるはず。
フォトショップで解析を行うとドレスの色は水色と茶色ということになります。
ここでポイントとなるのが、脳は画像の色の文脈を補間してから、ドレスの色が何色か割り出すということ。
ネイツ教授には白と金色に見えるそうですが、
おそらくは青であろうことは認めています。
同教授が実際に画像を印刷して、それを小さく切り、色文脈が排除された状態で確認した結果は、その中間でした。
ネイツ教授の脳は青を光源に由来すると見ているよう。
そうでない人なら、ドレスに由来すると認識しているのです。
また画像のホワイトバランスを変化させることでも、本当の色が確認できます。
そうしても実際に見えるのは青であり、白に見えていた色は青で、金に見えていた色は黒であることが解ります。
そして、その逆に最も暗いピクセルに合わせて調整すれば、ドレスからは青と黒が飛び出すはず。
つまり文脈が変化すれば、視覚の認識も変化する。「大抵の人は白い背景にある青なら青に見えるでしょう。でも、黒い背景なら白に見える人もいるはずです」とコンウェイ氏。
「白と金に見えるなら昼間にドレスを見たい人でしょう。夜型の人なら青と黒に見えるんじゃないかな」と冗談まじりに結んでいます。
で実際のドレスは何色なのか。
答えは青と黒のドレス。
この騒動に乗じて、問題のドレスの会社は
金と白のパターンのドレスを作ることになったそうです。
そして上を踏まえ、下記の画像を。
さて、あなたには何色と何色に見えますか。
ちなみに、実際にはどう見えているのかは、誰も分らないのが本当のところ。
人それぞれ見方、受け取り方が違うというのも当然。
もしかしたら、空も青なんかではないかもしれません。
そもそも自分が青だと思っている色も青ではないかもしれません。
根本の認識がまったく違った場合、何が本当かなんてまったく意味の無いことになります。
そんなことを考えていると、この現実世界も疑わしくなっていきます。
ただ本当のところがどうなのかなんてはっきり分らないからこそ、この世界は楽しいのかもしれません。